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キリスト教げんじつ主義

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第555回「オリンピックで注目しているものは?」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当浜地です。 今日のテーマは、「オリンピックで注目しているものは?」です。 いよいよ!!現地時間の今夜8時からオリンピックの開会式が始まりますね☆皆さんは今回のオリンピックで注目している人や競技などありますか?私はやっぱり水泳の北島選手でしょうか。^-^筋肉マニアな私にと・..
FC2 トラックバックテーマ:「オリンピックで注目しているものは?」



 サッカー男子は日本が二連敗で予選敗退が決まった。エレミヤはサッカーが大好きだ。だから注目していたし、期待もしていた。でも、代表の様子や選手を見ていく内に関心は薄れてしまった。選手層も、選手の質も、国際試合で戦い、勝ち抜いていくために必要な要素は何一つ見られなかった。

 結局のところ、試合は見なかったし、見る気も起きなかった。こういう結果になることは予想できたから。
 今のサッカー五輪代表に見るべきものはない。内田篤人がスター扱いされていたが、彼はまだ「売り出し中」にしてキャリアを積み始めたばかりの選手。スターでもなんでもない。カズのような修練も積んでいない。中田英寿のように非凡な才能を見せているわけでもない。甘いマスクの持ち主だが、それだけで一流選手になれるわけではない。それなのに、インタビューでの彼の受け答えはまるでなってなかった。スター気取りのタメ口。サッカー選手としてというよりも、人間として磨かれていない。他の選手も全くと言っていいほどに印象に残らない選手、頼りがいのない選手、見ていて安心させてくれない選手ばかりだった。ルックスは整い、ファッションセンスもいい。だが、一番大事なサッカーで印象が残らない選手が今回の代表なのだ。勝てるわけない。

 「谷間の世代」と呼ばれたアテネ五輪代表の中心選手はトゥーリオ。積極的に攻撃参加するDFだが、そこはやはりDF。勝つサッカーをするためには優れたFWの存在は不可欠だ。「負けないサッカー」「守備的なサッカー」にしても、攻撃に優れたFWがいるからこそ「負けない」のだし、「守備的」でも勝てる。アテネの時にはそんなFWがいなかった。前線も中盤もトゥーリオの存在にかき消されている有様。あれでは勝てるわけがなかったのだ。そのトゥーリオも当時は血気盛んな荒削りの選手。代表チームの中軸を担える器ではなかった。DFが中軸を(或いは主将を)務めたチームとして、最も有名なのは74年ワールドカップの西ドイツ代表であろう。その中軸とは、言わずと知れた「皇帝」フランツ・ベッケンバウアー。だが、彼のチームであった西ドイツには前線に「爆撃機」ゲルト・ミュラーがいた。守備陣には、縁の下の力持ち的な存在のベルティ・フォクツがいた。
 70年ワールドカップを制した「最強」のブラジル代表。キャプテンはやはりDFのカルロス・アルベルト。だが、このチームには「ペレ」がいた。トスタンが、ジャイルジーニョが、リベリーノがいた。カルロス・アルベルトのキャプテンとしての器量が芸術家集団のブラジルをまとめ、あの魔法のような強さを演出していたと思う。
 80年代後半から90年代にかけて欧州を席巻したACミランを率いていたのはDFのフランコ・バレージ。彼の率いたチームには、あの「オランダトリオ」がいた。彼らの後もデヤン・サビチェビッチ、ジョージ・ウェア、デメトリオ・アルベルティーニらがいた。優れたDFがキャプテンを務めた「最強」チームには必ず、その守備陣の守りに応える攻撃陣がいたのである。アテネにも、今回の北京にも、そんな選手は一人もいなかった。アテネのトゥーリオ、北京の安田や内田はまだ「子供」の選手。ベッケンバウアーやバレージの役目など果たせる道理がない。

 それほどまでに選手層の薄い日本がサッカーでメダルを狙うのは目標設定の段階で間違っている。

 次のオランダ戦はまず勝てない。良くても1-0.場合によっては4-0もあり得る。2-1で終われば御の字といったところか。

 今回の五輪代表に対して、彼らのやる気のなさ、気迫の欠如、サッカー以上に目立つファッションに批判が集まっている。サッカー選手にとって一番のファッションとは何か?それはプレーだ。一瞬でも光り輝くプレーがサッカー選手にとっての最高のファッションなのだ。
 ローター・マテウス、エリック・カントナ、ジネディーヌ・ジダン、ディエゴ・マラドーナ・・・彼らは今の基準で見れば、お世辞にも「イケメン」とはいえない。だが、日本のイケメン選手よりもはるかにカッコイイ。なぜか。彼らにはどんな服にも勝る「プレー」という「服」があるからだ。そして彼らはどんなファッションよりもユニフォームが一番輝いて見える。マラドーナはどんなファッションよりも86年ワールドカップの時、アルゼンチン代表のユニフォームに袖を通し、背中に「10番」を背負っていた時の姿が一番かっこよかった。ジダンは後頭部が見事に禿げてしまっているのに、全くかっこ悪く見えない。芸術的なプレーの数々がそんな「欠点」すら「特徴」にしてしまっている。その点、今の日本の若い選手たちはどうか。普段着でもユニフォーム姿でも大して印象は変わらない。むしろ普段着が注目される。彼らはそれを「屈辱」と感じなければ、選手として成長は望めない。

 エレミヤが子供の頃、運動神経のいい子はよく「やる気のなさ」をファッションのようにしていた。「やる気のない」プレーで自分より運動神経の良くない子をスポーツで負かし、「自分の天才性」をひけらかそうとしていたのだ。子供のレベルなら、それでもなんとかなった。運動神経の良くない子の心を傷つけても、彼らは何とも感じなかったし、お咎めがあるわけでもない。だが、プロスポーツの段階になったら、話は違う。「やる気のなさ」が天才性のアピールになることなど、ほとんどない。それは「貧乏であれば、将来偉くなれる」と勘違いしているのと同じである。北京五輪代表の以前の試合を見ると、「やる気のなさ」をことさらにアピールしようとしているとは思わなかったが、「軽薄さ」ばかりが目立ち、サッカーの質が見えなかった。私が見たいのはサッカーなのだ。軽薄なパフォーマンスには用はない。

 この面子で将来、ワールドカップ予選を戦わなくてはならない。心配だ。とても心配だ。予選落ちも落胆させられたが、来年あたりはもっと落胆させられそうな気がする。今のA代表の監督は岡田武史氏だ。いい監督ではあるが、国際試合を勝ち抜く監督としては心配だ。川淵氏が好き放題やっているが、そこを改めない限り、今回のワールドカップはチケットを入手する意味がなくなるだろう。なぜなら、ワールドカップのピッチに日本代表がいないからだ。

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